新聞記者、辞めました。

新聞記者、辞めました。

新聞記者、辞めました。でもなんやかんや新聞やメディアが好き。社会のいろんなこと考えていたいゆとりの戯れ言。

実名の新聞記者アカウントを数えてみた

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獅子まいこです。

 

先日、このようなツイートをしました。

 

自分が思っていたより多くの反響をいただきました。

拡散してくださった方、ありがとうございました!!

 

社名と実名を明記=キラキラ記者?

 このツイートに対する感想を、DMでも送ってきてくださった方もいました。

「私は実名と社名を明かしているけど、別にキラキラした記者なんかじゃない」といった内容でした。

私が上記のツイートで伝えたかったことは、

「(主に新聞記者に内定した学生さんに対して)記者の仕事は理想より大変なことが多い。それで心折れちゃわないために、卒業までの時間は、別の心の拠り所を見つけたり、自分の密度を上げたりするために使ってほしい。by心折れた私より」

…ということだったんですが、

 

「実名と社名出していろいろつぶやいている記者はキラキラしている(ように見える)」

という部分に反応した方が多くいらっしゃったみたいでした。

 

なので、「実際に社名と実名を明かしている新聞記者のTwitterアカウントはどれぐらいあるんだろう~?」と気になったので、数えてみることにしました。いえ~い!

 

思ったより…少ない?

 今回は、全国紙+中日(東京)、通信社2社。

(本当は地方紙も数えようと思ったんですが、思いのほか時間かかったので諦めました)

 

<断り書きタイム>

・アカウント検索で「〇〇新聞/●●通信」と入力してヒットしたアカウントのうち、実名で登録している記者を数える(2020年10月9日正午時点)

・編集記者、編集委員のみを数えました(写真記者、校閲記者は未カウント)。「現在はデジタル部門」などという方も、「記者」だと明記していたらカウント

・フォロー・フォロワー0人などの明らかな休眠アカウントは計測せず

・その他、私の独自ルールで判断しました。また、おひとりおひとりの所属の事実確認はしていません。数え漏れもあると思います。参考程度に見ていただければ幸いです。

 

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 もう1つ断り書きを入れておきますと、

「〇〇新聞」と入力して出てきた方をカウントしているので、

「読売で記者しています」「朝日→BuzzFeed→フリー」といった書き方をしている場合や、とても有名な記者さんだけど所属を書いていない場合など、この数に入っていません。

 

<個人的感想>

・読売はSNSはNGなのかな。カウントしたお二方とも、お名前がローマ字表記だった。

・日経の「認証マーク」ありが多いのはなんとなく納得できる。経済番組で解説したりするだろうから。朝日の「認証マーク」ありがすごく多いのはちょっと不思議。ってか認証マークってどうやってとるの???

・日経記者さんのプロフィール欄は軒並み強い。「元ニューヨーク支局長。ジュネーブ、ロンドン、ジャカルタを歴任。日本では主に日銀、財務省担当」とか。かっけぇぇぇぇぇ

 

皆さんの予想より、少なかったですか?多かったですか?

 

「#ジブリで学ぶ新聞」最高だったよね

 9月末頃、スタジオジブリが場面写真の提供を始めたのをきっかけに始まった、「#ジブリで学ぶ〇〇」の大喜利大会。

 

私のタイムラインは「#ジブリで学ぶ新聞」で埋め尽くされました。

「わかる!!!!」のオンパレードで、みなさんうまいな~と思いながらいいね押しまくっていました。

大学のゼミの同期で元記者の友人たちとのライングループでも、スクショを送り合っていました。

 

私のお気に入りを引用します。

はたちこうたさん(@togemaru_k)のこの1枚。

 

 記者クラブのドアってあんな色してない?笑

「明日何が起きるか」がわかるのは、恐らく記者の経験がある人だけ。短い1文にも関わらず、記者ミームに富んでいて本当に秀逸だな~と思います。

 

 

「#ジブリで学ぶ新聞」にはいくつかの特徴がありました。

 

①地方のサツまわりネタの多さ

 「新人時代のサツまわり」が記者の共通言語になっていると体感した人も多いと思います。

サツ担は誰しも1~2年目に通る道。地方や若手ならではの苦労がジブリのレトロな画風ともマッチして、ノスタルジックに表現されていました。

 

ほぼ同時期に「#ジブリで学ぶ編集」も見かけるようになりました。

私は出版社で雑誌編集もしてたいたことがあるので、こちらのハッシュタグもいいね祭り。

ただ、「#ジブリで学ぶ新聞」ほどの盛り上がりはなかったように思います。

編集者って、出版社や媒体特性、書籍か雑誌かWebかで結構仕事内容が結構違う。「新人ならでは」の仕事もあまりないと思います。

新聞記者でいう「新人時代のサツまわり」ほどの共通言語は、編集者には無いんだな~と実感しました。

 

②匿名でつぶやく人の多さ

 前置きが長くなったんですが、なんで「#ジブリで学ぶ新聞」のことに触れたかというと、これを言いたかったから。

 

どなたかがTwitterで指摘されていたのも見ましたが、記者っぽくないアカウントの人が「#ジブリで学ぶ新聞」をつぶやいていて、意外と記者(または元記者)かもしれない人の多さに驚きました。

 

記者が匿名でSNSをやることの議論は様々あるかもしれませんが、

私は、匿名だからこそ言える裏話を聞くことができるので、そのような方々は大好きです。

かくいう私も、「元新聞記者」という肩書きで、「獅子まいこ」というペンネーム=匿名で、昔の話をべらべらと語っていますし…。笑

これからもよろしくお願いいたします~!

 

私がまだ記者だったら…実名と社名は…

 

新聞記者は実名でTwitterをやるべきか否か。やってもいいのか否か。

大きくは社の判断によって分かれていると思います。

私の古巣でも、SNSは禁止されていたと記憶しています。

 

紙・Web問わず署名記事が一般的ですし、記者の顔写真入りのコラムも掲載されるようになっています。

その流れからすれば、「実名のSNSを禁止するのは」相容れないかもしれません。

 

一方で、炎上のリスクを鑑みてSNSを禁止する理由もわかります。

新聞紙や新聞社のニュースサイトの記事で出す個人名と、Twitterで出す個人名では、やはり質は違う。

 

「※ツイートは個人の意見です。いいねやRTは賛意とは限りません。」といくら書いておいたとしても、絶対に炎上しないとは限らない。

 

ま、私はいち読者としては正直なところ「どちらでもいい」です。

「いい記者さんだな」と思った方がTwitterにいらっしゃったら、「お!」ってフォローするだけ。

別にいなかったとしても何も思いません。

 

いち新聞記者としては。もし私がまだ記者を続けていたとしたら。古巣の新聞社でSNSがOKになったら。

上のツイートでは「(実名などを)載せたい人生だった」とつぶやいていますが、私の性格上絶対に載せません。笑

 

ちょっとしか新聞社にはいませんでしたが、自分の仕事に対して、永遠に胸を張れないと言うか、ずっと疑問を持ち続けていました。

「本当にこの記事で誰かは幸せになっているんか?」

「こんなに批判できるほど、私には後ろめたいことは1つもないんか?」

「そこに愛はあるんか?」って。

こういう性格上、職業と所属と実名を明かしてSNSなんてできない。

 

わかりやすく言うなら、あれですね。

「同窓会行かない主義」みたいな。

地元のド田舎で冴えない青春時代を過ごしていたけど、都会の大学に進学して就職もして、まあ一見順風満帆。でも同窓会は行けない。

行くなら、もっと堂々と、キラキラした自分を見せつけられるようになってから、みたいな。

…ピンとこなかったですかね。すみません。

 

あとは、単純に炎上怖い。煽り耐性なさすぎるから、絶対リプ大変なことになる。

 

<断り書きタイム・2回目>

実名+社名でTwitterをされている方を批判するつもりや、個人の特定のツイートを指して皮肉を込めている、とか、そのようなつもりは毛頭ありません。

 

自分があれほど憧れて、苦労してやっと掴んだのに、全然うまくいかなかった新聞記者の仕事。

だからこそ、そこで働いている人は、心から本当に本当に尊敬しています。

 

もし、私のことが「どんなやつなんだろう」気になった方は、こちらの自己紹介記事と、「私が新聞記者を辞めるまで」のマガジンへどうぞ。

僻んじゃった理由が、少しはわかっていただけるかも…しれないです。

yutori-zaregoto.hatenablog.com

yutori-zaregoto.hatenablog.com

 

 あ、そういえば。

 

冒頭のツイート、いいね!していただきました?

 

実はその中に、私が某地方紙で新聞記者をしていたときにお会いしたことがある方がいたんですよ~。

 

県警記者クラブで、めっちゃ暗くて生気のない、仕事してるんかしてないんかわかんないような地元紙の女性の新人記者、いませんでした…?

 

そうです!そうです!

 

それ、私です。

オーバードーズ気味の後輩。でも、私は止めない。

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マスコミの仕事はタフです。
そんなこと、知っています。
覚悟の上で、目指したんです。
だけど、わかっていたけど、心と体は壊れてしまったんです。

新聞社と出版社でその苦しみを経験しました。仲良い同僚にもいました。
だからこそ、今、同じ苦しみで悩んでいる人には、精一杯寄り添いたいと思っています。
少しでも、読んでくれた方の心を軽くできたらと思って、今日はこんな記事を書いてみます。

東京でも緊急事態宣言が解除された、6月上旬。

出版社時代の後輩と、久々に会ってご飯を食べに行きました。 

彼女は2歳年下。私が中途として入社した編集部に、数カ月後新卒として入社しました。

 

当時の編集部は、と・に・か・くヤバかった。

私は1年数カ月後、過労で休職し退職。

後輩ちゃんもほぼ同時期に休職。

後輩ちゃんと同期にあたる新卒の数人も、過労で転職したり突然会社に来なくなったり、いろいろやばかった時期でした。

 

私は休職中、新聞社時代と同じように病みに病みまくった末に退職。

一方、後輩ちゃんは私とほぼ同じタイミングで休職したのち、復職を果たしていました。

 

そんな後輩ちゃんとは「病み友」でした。

私が退職した直後、私の家の近所の居酒屋まで来てくれて、よく近況を語り合っていました。

「毎月、編集部で1番早く校了して、新企画もバンバン出していた獅子さん(私)」と「毎月、編集部で1番遅い校了で、なにかと編集長やデスクに怒られていた後輩ちゃん」。

結果的に社に残ったのは、後者の彼女。

「不思議ですね~」「なんだかんだ、勝ち負けで言ったら、勝者は後輩ちゃんだよ」なんていいながら。

 

当時はお互いにひたすらに病んでいたので、「どんな薬を飲んでいるか」「死にたくなったときどうしたか」「遺書にはなんて書いたか」「実際にどこまで行ったか」なんて、笑いながら、でもノンフィクションなことを、語り合っていました。

他の人には絶対に言えない。引かれるか、本気で心配されるか、そっと距離を置かれるようになるか、メンヘラ認定されるか。

でも、そんなことを楽しくフラットに言い合える。後輩ちゃんとはそんな不思議な関係でした。

数カ月ぶりの再会。

私はフリーランスとして独立。

後輩ちゃんは復職以降、月刊誌をつくる編集部ではなくなり、校了の追い込みや徹夜が無い部署を転々としていました。

 

それでも、彼女はずっとフラッシュバックに悩まされていて、飲む薬の量も増えていました。

それも、かなり。

心療内科で処方される抗うつ剤精神安定剤の類に加え、「多幸感」を味わえるという風邪薬や咳止め薬をドラッグストアで大量に買って飲んでいるようでした。

 

でも、私は「薬辞めたほうがいいよ」とは言いませんでした。

居酒屋で語り合ったときと同じテンションで、彼女は「お金ないのが最近の悩みで。薬代でひっぱくしてるんですよ~」と明るく言う。

 

オーバードーズなんて、絶対に辞めるべき。それは誰よりも彼女が1番わかっている。

だからこそ、私は「辞めたほうがいいよ」とは、簡単に言えない。

「辞めたくても辞められない」苦しみは、死ぬほどわかるから。

 

でも、後輩ちゃんに、何度もこう言いました。

「一応、言っておくけど、会社、辞めてもいいんよ。

私も会社辞めて気づいたことだけど、意外と、人生どうにでもなるし」

 

すると

「辞めないです。」

きっぱりと彼女は答えた。

「まあ、薬代でお金ヤバいっていうのもあるんですけど……

 

私がお荷物なのはわかっているんです。

でも、実はこれでもバリバリ雑誌つくっていた1年目よりは給料がいいんです。

面の皮厚い奴だって思われてもいい。

私がこんなになったのは私のせいですけど、会社の責任もある。

これは復讐なんです」

彼女は、私には持ち合わせていない、強さを持っている。

なんか、カッコよかった。

 

私が弱いのか彼女が強いのか。それはまあなんだってどうだってよくって。

大事な「病み友」の1人として、お互い、違う強さと弱さを認め合いつつ、定期的に生存報告をする。とりあえず生きていればそれだけでいい。

この後輩ちゃんとは、そんな関係でずっといられたらいいなと思った。

 

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先日、このはてなブログにまたコメントをいただきました。

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はむすたーさん、コメントありがとうございました。

私も今でも、新聞社時代のことがフラッシュバックすることがあります。

つい先日、フリーランスの仕事で某新聞社の方とのやりとりしていたとき、心がえぐられて、そこに新聞社時代のデスクを重ねてしまったことが発端でした。

数日間、病みました。笑

 

忘れたくても忘れられない記憶にいつまでたっても苦しめられる。情けなくなります。

でも、これって動物としての生存本能らしいです。恐怖体験を忘れてしまって命を落とさないように、脳はめっちゃ記憶してくれているとか。

 

病みから脱した後、このことを知って「なんかありがたい」って思えました。

「また数年前みたいに、肉体的にも精神的にも死なないように体が反応してくれているんだ」って思うと、「自分の本能、ありがとう!」みたいな気持ちになりました。

(アホそうな感想ですみません)

 

フリーランスのいいところは、「もうお付き合い辞めたいな」という方とは、関わらないようにできること。会社員と違って、上司もいません。

仕事上の責任をある程度きちんと果たしたうえで、徹底的に逃げることにしました。

 

上記のブログにコメントをくれた方を含め、きっと私の記事に共感してくださる方って、向上心の塊で、責任感が強くって、人からは真面目って言われるタイプなんじゃないかな~と思います。

派手なことが好きでも、なんだかんだ人生は地味で愚直に歩んできた人。

冒険心あふれるけど、それもなんだかんだ「普通」と言われる人生のレール上での冒険にすぎない、みたいな。

そんな人たちには、辛いことから逃げまくっても「人生意外と大丈夫」ということを、このnoteやブログを通して伝えられたらいいな~と思います。

もちろん、「絶対に逃げない」という選択肢もいいと思います。

とにかく、生きているだけでいい。それだけで、あなたの家族や大切な人も愛犬も幸せです。

 

読んでいただいて、ありがとうございました( ᵕᴗᵕ )

 

さて、私は、何も予定がないシルバーウィークに仕事をするだろうと、未来の自分に期待して、AmazonPrimeでドラマ『相棒』を一気観することにします。

 

獅子まいこでした。

運転中に過呼吸になって救急車で運ばれた話:後編<#8>

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前編<#7>のお話

地方新聞記者1年目、最もタフと言われる警察班ことサツ担に配属。

毎朝毎晩のサツ回りの疲れ、副署長ほか警察関係者からの心無い言葉や態度、デスクからの叱責や社内の人間関係諸々で心が疲弊していた。

そのストレスがピークに達した6月末のある日、運転中にデスクからの電話取った瞬間、突然過呼吸に襲われた。

yutori-zaregoto.hatenablog.com

 

人生で初めて、救急車を呼んだ。しかも、自分で自分のために。しかもしかも、自分の担当している警察署の駐車場に

 

運転席に座ったまま上半身は助手席へと横たわらせ、スマホをスピーカーにして119番を押した。

通信指令課のお兄さんは、場所を聞かれて私が「〇〇警察署の駐車場です」と答えたとき、少しびっくりしたような間があったことは覚えている。

でも、私が職業と社名を正直に答えたあとも、別に冷やかしたりバカにしたり哀れんだり、そんな雰囲気は微塵も感じさせない対応だった(そりゃそうか)。

自分で救急車を呼んだ後、横になったままひとしきり過呼吸と戦った。初期の頃と比べるとだいぶ収まって来てはいたが、油断するとまたぶり返す。

おもちゃを兄弟に取られてわんわん泣いて、ママに被害を訴えるんだけど「ひっく…ひっく…」って嗚咽してうまく話せなくて、目をうるうるにして鼻を真っ赤にして泣くしかできない。そんな5歳児みたいな状態の23歳の自分が、とてつもなく情けなかった。

 

頭がぼーっとしてきた頃、運転席の窓がノックされる音で起きた。上体を起こし窓の外を確認すると、同じサツ担で1期上のW先輩(男性)だった。

デスクと電話したとき「Wを行かせるから」と言っていた。W先輩も本来自分の業務があったはず。とてつもなく申し訳無い気持ちに襲われた。

W先輩は助手席のドアを開け、ペットボトルの水をくれた。

過呼吸の症状もさることながら、エンジンを停めたまま密閉した車内でしばらく過ごしていたため、軽い熱中症にもなりかけていたようだった。

午前中に取材した、ヤミ軽油抜き打ち検査の一幕を思い出す。警察官たちが検査協力のお礼として、トラックの運転手たちに「熱中症に気をつけて」お茶を渡していた。

取材後、余ったお茶を「獅子さんもどうぞ」と差し出された。記事の執筆や撮影で必要である場合を除いて、官民ともに取材先からこういった物品を受け取ることは禁止されている。

馬鹿正直に守った自分がとてつもなくアホらしかった。別にお茶1本もらったからって、警察への監視が弱腰になるわけでも、サツの言いなりになるわけでもない(そもそも、そこまで人間関係を親密に築けていないw)。

 

シャツの袖で涙をぬぐいながら、W先輩から渡された水を飲む。

ふと自分の手首を見ると、長袖の白シャツのカフス部分が、涙で落ちたアイシャドウで茶色く汚れていた。

上品にハンカチなんかで拭っている場合じゃなかった。メイクが落ちるのなんてなりふり構わず、両手首の内側で目をこすっていたのだった。

「あ、汚れちゃってる…」

W先輩に聞こえるか聞こえないかの小さな声でつぶやいた。

心配の声を掛けてくれるW先輩に、心からの謝罪をした。

すると、遠くから救急車のサイレンが聞こえてきた。

 

救急車は、関係者用の細いU字坂を登ってくることなんてないだろなあ。堂々と警察署を正面突破してくるに違いない。驚いている副署長や署員たちの顔が浮かぶ。

はあ…。また大きな失敗をやらかしてしまった。

いずれ誰がなぜ運ばれたかはすぐに判明する。憂鬱憂鬱ででしょうがなかった。どうか、誰が運ばれるのか物見見物してくる人だけはいませんように…。ただただ願っていた。

先輩が救急車を誘導してくれた。

私は運転席から降りた。自力で歩ける状態だったけど、担架に乗せられた。タオルで口元を覆うふりをして、顔を隠しながら横たわった。

W先輩は、私の車を本社まで乗って帰る使命を負っていたので、救急車に乗る寸前で別れを告げた。

 

――それでは、W先輩はどうやってこの警察署まで来たのか?W先輩が乗ってきた車は一体誰が乗って帰ったのか。

その答えはのちのち聞いたことで、W先輩はキャップが運転する車に乗り、2人で警察署に来ていた。キャップは私が萎縮してしまうだろうと気を遣ってか(どうかはわからないけど)、私に顔は見せなかった。もしかしたら警察署にお騒がせしてしまったお詫びをしに行ってくれていたのかもしれない。

ついでに言うと、デスク、キャップ、裁判に行っていたはずのSさん、W先輩、同期のK、これらサツ担の全員になんらかの予定変更を強い、私の尻拭いをさせていた。

申し訳無さと情けなさで、丸4年経った今でも心が苦しくなる。使えない新人で、本当に本当に申し訳ありませんでした。

 

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生まれてはじめて、救急車に乗った。せっかくの経験だったのに、あまり車内を観察することはできなかった。

ただただ、そばについてくれた40代ぐらいの男性の救急救命士さんが優しかった。

止まらないでいる涙を拭うようにと、きれいに畳まれたガーゼを渡してくれた。これでやっと、お上品に涙を拭える。24時間テレビでVTRを見てポロポロ涙がこぼれてしまっているゲスト女優みたいに。でも、涙の量に対してガーゼは無力だった。

 

ゆとりとはいえ「不要不急な通報が増えているせいで、本当に救急搬送が必要な患者への出動が遅れている」ということはもちろん知っていた。何度か関連の取材もしたことがあった。

救急救命士さんに「なんか、こんなことで(救急車呼んじゃって)すみません」と侘びた。彼は、呆れたような素振りも返事に困ったような素振りも見せず、優しく言った。

 

『新入社員さんだもんね。お仕事が大変だったんでしょう。がむしゃらにやってこられて、今日は暑さもあったし、体も心も悲鳴を上げたのかもしれないですね』

 

ボロボロでスカスカになっていた私の心に、温かい言葉の1つ1つががものすごい勢いで染み込んで広がっていくのを感じた。

新人新聞記者の大変さを知っていたのか、想像してくれたのかはわからないけど、救急救命士さんの優しい言葉でさらに涙がこみ上げてきた。

私は「たまに、いるんですか?こうやって過呼吸で運ばれちゃう新入社員とか」と尋ねてみた。

『ええ、いますよ。』

この街のどこかに仲間がいる安心感を得られたのもつかの間、救急救命士さんはこう続けた。

 

『高校生の女の子とかが、学校で過呼吸になっちゃったりしてね……』

 

――私はこの言葉で、一気に悲しい現実と向き直らざるを得なかった。自分が今、どういう存在に成り果てたのか。世間的に「お前」はどう思われているのか。

 

いたなあ、高校のとき。友達とケンカしたとか彼氏にフラれたとかで過呼吸になって保健室に駆け込んでいた女子。

(当人は当人なりに大変な状況なんだと思うけど)1ミリも彼女たちに共感できなかったというか。っていうか興味すら無かった。「何しに学校来てんだろ~」って思ってた。

だいたい校則よりもスカート短くして、デコログ(世代なんです)に病み投稿ばっかりしてるような、かまってちゃんで、メンヘラ気質で……

――そうか、今の私って、こうやって見られているんだ。

上司に怒られて耐えられなくなって過呼吸になっちゃった、ヘタレゆとりメンヘラ女子新入社員。

 

救急救命士さんも、そりゃ、優しくしてくれますよね。

ストレッチャーに横たわった状態で、なんだか、肩の力が抜けた。

もう、戻れない。もう、取り戻せない。

過呼吸で救急車で運ばれる」前の状態の私には、もう永遠に戻れないことを悟った。

 

救急車の側面に目を見やると、上部の棚に詰め込まれた救急資機材がガタガタ揺れていた。すりガラスからは外の様子は見えないけど、サイレンを流しながら市内のどこかを走っている。確実に私は救急車で運ばれていた。

 

「意外と、揺れるんですね」

『そうなんです。だから出動時は急いでいくんですけど、搬送時は患者さんによってはかなりゆっくり走るんです。救急車は以外とゆっくりなんですよ』

 

へえ、と相槌しながら、このちんたら走る救急車のせいで渋滞が起き、イライラしている後続車の運転手の顔が浮かんだ。

 

どれだけ迷惑な奴だなんだろう私。みなさま本当に申し訳無いですと、今日何千回目かの謝罪を心の中でした。

 

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市内の大病院に着いた。ストレッチャーのまま、広い処置室に運ばれ、カーテンで区切られている中の1つのスペースに移された。

看護師さんの説明が全然聞き取れないまま、とりあえずうなずいていると、そのまま点滴が始まった。

 

空いている右手で、デスク、キャップ、警察署まで来てくれたW先輩、同期のKに謝罪のメールを送った(裁判担当のSさんはこの事態を知らないと思っていたので送らなかった)。すぐに返信が来たキャップからの「気に病む必要なし。今は体を休めることに集中すること。返信不要」みたいな内容が今でも心に残っている。

強面でいつも眉間にシワを寄せていて、近寄りがたい印象のキャップの人となりそのままだけど、なんだかキャップなりの優しさを感じて、ちょっと心が休まった。

 

点滴は30分ぐらいだった。インフルエンザに罹ったときなどで点滴は経験済みだったけど、「水分を体に入れるってこういうことか!!!!」って実感するほど、ものすごい勢いの尿意とずっと戦っていた。

点滴の袋の液体が無くなったところで、座高が異様に高いイス?というかベッド?から命がけで降りて、お手洗いへ向かった。

鏡を見ると、号泣のせいなのか、点滴によるむくみなのか、まぶたはパンパンだった。

アイシャドウはすべて手首の袖。情けない顔で、また泣きたくなった。

 

その後、待合室へ移動してしばらく待っていると、診察室へ呼ばれた。

お医者さんから「お仕事大変で~ストレスで~」みたいなことを言われたような気がするけど、あんまり覚えていない。覚えているのは、診察してくれた人の名札を見ると「研修医」的な肩書だったこと。若かった。多分同世代なんだろうな。キラキライケメン医者の卵スマイルが、まぶしかった。

 

診察後、再び待合室で待っているところで、迎えに来てくれたデスクと合流した。別に、デスクの顔を見ても過呼吸は出なかった。

ただひたすら謝った。パンパンに腫れている顔を見られたくなくて、自分の太ももをずっと見つめていた。

 

ただ、1つ心配事があった。だけどデスクに相談はできなかった。それは「治療費が払えるのか」ということ。

――救急車の配車代金っていくらだ…?絶対高いよね…点滴っていくらするの…?カード払いできるの…?!今財布にいくら入ってたっけ…?!

財布にお金が無くて払えないという社会人として情けない事態を想像して、デスクとの雑談も上の空で気を揉み揉みしていた。

結果的にはちゃんと処置費は支払えたが、残金数百円のギリギリのラインだった。

 

病院を出たのは、17時ごろのことだった。

病院からの帰り道、デスクは自身の新人時代の失敗談とかを話ししてくれていたような気がする。でも記憶にない。ずっと「あ~私はサツ担クビになるんだろうな~」と考えてていたから。

だから「今日はもう上がり。家まで送る」「明日から月曜まで休め」と突然の4連休を言い渡されても、喜びよりも「私はもう必要ない人間なんだ」という気持ちが勝っていた。

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家に着いて、袖がアイシャドウで茶色く汚れているシャツを脱ぐと、ぐるぐるに丸めてゴミ袋に突っ込んだ。ついでに、スラックスのポケットに入っていたガーゼもゴミ箱に放り込んだ。

 

まず母親に電話して今日の出来事を伝えた。

大学のサークルのLINEグループには、社会人1年目のボーナスの有無で盛り上がっていた中に「今日勤務中に救急車で運ばれたんだけどw」と投稿し、場を荒らした。

新聞記者の仕事の大変さをアピールするのに、今月の残業時間は良い指標になった。まだあと1週間残っているというのに、150時間を超えていた(もちろん、残業代はみなしだよ!!!!)。

ゼミ同期で記者になっている友人のLINEグループや、中学校からの親友にも、同じように連絡した。

全員、私の昔からの性格を知ってくれている。だから私のことを「ヘタレゆとりメンヘラ女子新入社員」と思って軽蔑してくる人はいない。だから、心から心配してくれたし、4連休ちゃんと休めよ、と言ってくれた。それだけが本当に救いだった。

 

友人たちとLINEをしているうちに元気になってきたので、近所のスーパーに向かった。ここでやっと、棚ぼた4連休の幸運をめいっぱい享受してやろうという気持ちになった。

大好きなローストビーフやチョコレートを大量に買い込んでいる最中に、義姉から電話がかかってきた。

兄家族は、私の両親たちと2世帯住宅で一緒に住んでいる。義姉は母親から今日の私の様子を知り、心配で電話を掛けくれたようだった。

 

私と兄は10歳差。義姉とは11歳差。義姉は美人で脚も細くて、優しくて明るい。私が高校卒業とともに実家を出たあとも、なにかと気に掛けてくれる優しいお姉ちゃんだった。

『まいこ、聞いたで、お義母さんから。大丈夫だったん?』

なによりも体調を気遣ってくれる家族の声が、嬉しかった。

義姉にも今月の残業時間を伝えた。過労死する前にはちゃんと辞めるから、と冗談めかして話した。

 

「もし記者辞めたら…トラックの運ちゃんにでもなろーかなーどう?」

 

今日の取材で出会ったドライバーたちを思い出していた。男社会で体力勝負の父の仕事。もちろん今まで、憧れることもなければ目指したいと思ったことなんて1度も無かった。でもなんだか今日だけは、新聞記者なんかよりも、この世のどんな仕事よりも、なぜかカッコよく感じた。

 

『まいこ、それだけはやめとき。笑』

義姉は笑って答えた。

 

<続く>

 

運転中に過呼吸になって救急車で運ばれた話:前編<#7>

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ゆとり・ポンコツ・ヘタレな新聞記者1年目の阿鼻叫喚な日記を、数回にわたって書いてきました。

4月の入社から配属、5月のサツ回りでのハプニング。

「数年前の今頃は、こんなことしてたんだ~」と未熟な自分に思いを馳せながら、実際の時期に合わせて投稿していました。

この#7は6月下旬のできごと。今日は7月30日。約1ヶ月のズレ。

1ヶ月の間、この話を書く筆が進まなかった。

このことを思い出す勇気がわかなかった。

これを読んだ人に「こいつマジモンのポンコツじゃん」って思われるのが怖かった。

 

それだけ、この日は自分にとって忘れられない1日でした。

その長い長い1日を思い出していきます。

 

2016年6月23日。私は新聞記者失格の烙印を押されました。

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蒸し暑い日だった。

この日は朝から取材があった。

車で30分ぐらい走らせた隣市の国道で「ヤミ軽油」の抜き打ち検査があった。

(「ヤミ軽油」とはなにか気になる方は、こちらの週間ダイヤモンドの記事へどうぞ)

https://diamond.jp/articles/-/1648

 

主催は税務当局か県警か、もしくは共催。たぶん。

警察官が通過するトラックを1台1台止めて広い路肩に誘導し、職員がガソリンタンクからスポイトで少量のガソリンを採取していく。

検査薬を入れて、反応しなければOK。

記事の写真用に、採取の様子を数パターンカメラに収める。大して代わり映えしないので、何十枚も撮る必要はなさそうだった。

同じく取材に来ていた地元テレビ局も、数台分の検査を撮影して署員のコメントを撮ると、さっさと引き上げていった。

 

警察官は、検査協力のお礼としてトラックの運ちゃんにティッシュやペットボトルのお茶が入ったセットを渡していた。

「ご協力ありがとうございました!今日は暑くなりそうなんで、熱中症気ぃつけてくださいね!」

『どーもどーも。ご苦労さんです~』

 

トラックの運転席は普通の車より高い位置にあるので、背の高い警察官も背伸びをしながら、窓からお茶を手渡ししていた。

車体がとんでもなく長いトラックも、運ちゃんたちは自分の身体の一部のように迷いなくハンドリングする。

検査を終えると、颯爽と国道へ戻っていった。

私の父も、長距離トラックの運転手。

浅黒く日焼けした腕でお茶セットを受け取る運ちゃんたちを見上げながら、父の姿を重ねていた。

 

約2時間の抜き打ち検査の結果、「ヤミ軽油」トラックは0台。

署員からコメントを頂戴し、取材終了。

私は車に戻り、前日に仕込んでいた予定稿に加筆し、デスクに送信した。おそらく、正午過ぎのことだった。

この日は、13時か14時頃から本社ホールで講演会があった。

なんの講演会だったかは覚えていないが、重要度の高いものではなかったと記憶している。

こういった類の講演会の出席は、報道局の記者はある種、“任意”。

取材とバッティングしたら、気兼ねなく仕事を優先しろというのが通例だった。

突発的事案が起こる社会部のサツ担は、中でも出席率は低かった。

 

ヤミ軽油抜き打ち検査取材後は、特に振られている取材案件はなかった。

だが、事件事故記事や街ネタとは別に、任された企画記事の取材を進めているところだった。今日も、担当署の副署長に話を聞きに行こうと思っていた。

 

1時間程度の講演会だし、時間的に行こうと思えば行ける。

久々に同期の顔を見たら、精神的に元気になるかもしれない。

でも、私ごときの分際で出席していたらデスクに「企画記事全然進んでいないのに、呑気だな」「お前なんか講演会は行かずに取材進めろ」って言われそうな気がした。

お昼ご飯を食べる時間を削るのもはばかられたので、結局、講演会には行かないことに決めた。

ランチタイムと言っても、場所はローソン。

警察署の近くのローソンでサンドイッチを買い、狭い車内でサンドイッチを食べていた。

 

デスクからメールが届く。先ほど送った原稿についての指摘だった。

国道◯号線の数字が間違っていた。この手のミスが多い。きちんと確認しているのか、気が緩んでいるんじゃないのか、というやや長い文面のメールだった。

ここ数週間、固有名詞などのケアレスミスばかりするようになっていた。

自分では、送信前に何度か読み直し、チェックソフトでスキャンもして、集中して書き上げているつもりだった。

「几帳面で完璧主義」。今までの私はそうだったから。些細なミスがあったとしても、即刻必ず修正する。何事も抜かり無くこなせるタイプだと思っていた。

 

――なぜまた間違ってしまったんだろう。

前日、予定稿を書いていた記憶までさかのぼる。

過去記事をほぼトレースして書いた原稿ながらも、固有名詞を1つずつ参照しながらチェックをして、デスクに記事を送る前にも確認をしていたつもりだった。

なにをどうやってもミスをしてしまう自分に落胆した。

自分じゃないポンコツな誰か」に体を乗っ取られてしまったような気がした。

 

重い気持ちで、デスクに返信を打つ。

確か「なぜまたミスをしたのか」と理由を聞かれたから、それに対して答えたような気がする。

「過去記事を参考にしていたため、国道の号線がそのままになっていたのかもしれません」と。

 

すぐにデスクから返信が来た。

4年経った今でも忘れもしない。この言葉。

 

「過去記事の流用なんて、そんなこと語るに落ちた

 

「語るに落ちた…?」

前後の文脈から、そんなこと言うほどではない、お前の話は論じるに値しない。というお叱りの言葉だと感じた。

ああ、「過去記事の流用でミスするなんて、記者なんて務まるか」と言われているんだと。

私は純粋に「語るに落ちた」意味がわからなくて、スマホで意味を検索した。

「語るに落ちる」

(「問うに落ちず語るに落ちる」の略)問い詰められるとなかなか言わないが、かってに話させるとうっかり秘密をしゃべってしまう。

・・・?

他のサイトも検めた。

他人に質問されているときは警戒して秘密を守っている人でも、自分から話をするときにはうっかり本当のことを口にしてしまうものだ、という意味です。

・・・・??

なんか意味通じてなくない…?

 

次のサイトではこう書かれていた。

・後半だけ切り取った使い方が定着したせいか「論ずるに値しない」というような誤用が見られます

……誤用やんか!!!!!!!

思わず車内で独りごちた。

 

「語るに落ちないの使い方間違ってますけどwww」「論ずるに値しないって意味じゃないですから!!!」「まさにデスクは記者として語るに落ちたんじゃないですか?あ、これも誤用だ(*ノω・*)テヘ」って送ってやりたかった。

でも、当時の私にそんな戦闘力も勇気も残っていない。

ただただ理不尽で、どうしようもなく悔しかった。

このまま、もうどこかに消えてしまいたいと思った。

もう、私の心はすでに、壊れていた。

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メールを返信し終わり、サンドイッチを食べ終えた。

頭は、企画記事のことでいっぱいだった。

今振り返れば、完全にキャパオーバーだった

初めての企画記事。絶対にいい記事を書いてやろうと思っていた。

でも、日々降り注ぐ事件事故対応、1つの漏れもなく容赦なく振られる街ネタ。

企画記事で予定していた遺族取材がうまく行かず、心は折れていた。

でも、書かなきゃいけない。

副署長に話を聞かなきゃ前に進まない。

 

「**の件の取材で〇〇署に行ってきます」とデスクにメール。

(場所移動するときや、次の取材に行くときなどは、逐一メールする決まり)

ローソンから車を出して、警察署に向かった。

 

数分走らせていたところで、ケータイが鳴った。デスクから着信。

身体がこわばる。

警察署への道を左折して、一旦逸れる。公民館とセミナーホールの建物の間の、車通りも人通りも少ない道に入って、路肩に寄せて停車しながら、通話ボタンを押す。

「っはい!獅子です」

「獅子、講演会は?なんで来てないの?」

「あ…すいません。」

反射的に謝る。

講演会に来ていないことについて、お叱りの電話だった。

 

デスクは、ここ数日の私の様子や、先ほどの「署に取材に行く」という報告メールからも、私の今の苦しい状況を汲み取ってくれていると思っていた。

キャパオーバーになりながらも、初の企画記事に向けて各方面に取材をしている。

聞いても聞かなくても、出ても出なくても大して変わらないような社内講演会に出る暇なんてないくらい、いい記事を世に出すための時間を作ろうとしているのだ、と。

そんな甘いことがあるはずもなかった。

今更、そういえばデスクは気を配れるような人ではなかったわ、ということを思い出したところで、なんの慰めにもならなかった。

電話口では、俺は獅子が講演会に出なくていいなんて言っていない、例えば今日裁判が入っているSならいいけどと、容赦なく後出しジャンケンで叩かれた。

わからなかった

講演会に出ないことが、それほど長々と(実際は数分だと思う)怒られ続けなければならない意味が。

私のこの取材は取材ではないの?仕事じゃないの?もはや私って、記者じゃないの?

 

デスクがなにか言葉を発するたびに、ここ数週間、企画記事のために流してきた涙や、ひいては新聞記者になっての1日1日が、新聞記者を夢見ていた学生時代のあの数年間の努力が

すべてさらさらと無に帰していく感覚になっていた。

電話を切った。

車をUターンさせ、警察署へ向かう道に戻る。

5分ほど走らせれば着く場所だった。

その道中、泣いていたか、泣くのをこらえていたのか、何を考えていたかは覚えていない。

警察署は小高い崖?のような場所の上にある。関係者用の駐車場は、傾斜があるUの字の細い小道を登りきった先にある。その小道は車2台がギリギリすれ違える細さだ。

その急斜面に差し掛かったとき、またケータイが鳴った。

デスクから着信。運転中だったが、通話ボタンを押した。

 

デスクが何か言った。

その瞬間、涙が止まらなくなり、同時に過呼吸に襲われた。

パニックになってしまい、とにかく車を停めようと思った。でも、こんな見通しが悪い急傾斜の道で停車はできない。

左手でケータイを持ったまま、右手でだけでハンドルを操作する。

とにかく、駐車場に向かうしかない。0.何秒の判断の間に、対向車が来ないことと、駐車場が空いていることを祈った。

右手を外側にめいっぱい大きく振り切って坂を登りきった。

空いていた駐車スペースに車を頭から滑り込ませた。

落ち着け、落ち着け、と自分に言い聞かせても、2段階で息を吸い込む呼吸のリズムは元に戻らない。自分のバッグの中に袋のようなものは入っていない。どんどん息苦しさがひどくなっていく。

エンジンを切る。

両足のふくらはぎから下の感覚が無くなっている。力が入らない。

止まらない涙をシャツの袖口でぬぐいながら、シートベルトを外し、上体を助手席に倒れ込ませた。

デスクからの電話はいつの間にか切っていた(切れていた)。

 

過呼吸と泣いているのがバレるのは避けたく、まだ掛け直すことはできない。

メールで「あと30分ほど待ってください」と送ろうとした。

30分もあれば、この状態も落ち着くはず、という根拠のない自信があった。

30分でいい。とにかく心と体を落ち着かせる時間がほしかった。

しかし、しびれが腕から指先にも来ていた。文字が上手く打てない。

 

その瞬間、メールが届いた。

同じサツ担の同期のK(男性)だった。

講演会で、同じく同期の「Yくんと久々に会ったよ~」というのんきな内容だった。

社内では1番仲がよく、サツ担同士で悩みを相談し合っていたK。

彼にならこのボロボロの状態でも話せる。

デスクに伝言をお願いしようと思い、Kに電話を掛けた。

「どうした?獅子」

電話の背景では、Yの話し声や笑い声も聞こえた。講演会終わり、久々に顔を合わせた同期やなかのいい先輩たちと談笑していたのだろう。

 

過呼吸になった。デスクからの電話に出られなくて、30分ぐらい待ってもらえますかって伝えてほしい」と言った。

講演会終わりだったためか、どうやらデスクが近くにいたらしく、Kはデスクに状況をそのまま伝えたようだった。

電話がデスクに代わる。

さっきの電話すみません、運転中に過呼吸になってしまった、でも30分ぐらい休憩したら大丈夫だと思う、と必死で伝えた。

デスクは冷静沈着な人で、この電話でも落ち着いていた。

そして「自分で救急車呼べるか」と聞いてきた。

 

救急車?!しかも自分で?!

「いや、、、すぐ治るので、、、、大丈夫です」

 

数回のやり取りの末、電話を切った。

救急車を呼ぶことのほどの大げさなことではないと思っていた。

しかも自分で救急車呼ぶってなんだよ、と思った。

 

数分後、すぐにまた電話が鳴った。

デスクからだった。頑なに、救急車を自分で呼べ、と言った。

おそらく、デスクの上司(報道部長)に相談したであろう雰囲気を感じ取った。

すぐにサツ担の先輩をそっちに行かせるからとも言った。

わかりました、と言って電話を切った。

 

自分で救急車を呼ぶという、なんとも言えない後ろめたさで、本当に通報するか否か、数分間逡巡した。

意を決して自分のスマホを出し、1、1、9を押した。

 

――「〇〇市消防局です。火事ですか、救急ですか」

「あの、仕事中に、過呼吸になっちゃって、救急車、お願いできますか」

通信指令部の訓練の取材でよく聞いたやつ。まさか自分に言われることになるとはなあ。

 

――「場所はどこですか?」

「えっと…。〇〇警察署の、駐車場です」

 

――「〇〇警察署……(!?)、〇〇市△△町の〇〇警察署ですね。」

「あ、、はい…そうです…」

 

生まれてはじめて、救急車を呼んだ。しかも、担当警察署に。

 

<続きます>

 

ゼミ生全員、内定ゲット!!【マスコミ就活勉強会】

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22卒のマスコミ就活生らしき学生さんからのフォローが少し増えました。

ありがとうございます(_ _)♡

「就活生なのに、こんな新聞記者すぐ辞めたヤツをフォローするなんて、なかなか変態だな」とニヤニヤしつつ、未来の日本のジャーナリズムを引っ張っていく記者になってほしいなと、心から応援しています。


 

私は、新聞記者を2年弱で辞めました。

でも、学生時代、新聞記者への憧れは人一倍強かった。

だから就活もかなり本気で頑張りました。

 

私のゼミの先生は元新聞記者で、ゼミ生もマスコミ志望ばっかりでした。

就活が本格化する前に「マスコミ就活勉強会」的なものを結成。メンバーは7人ほど。

週1回ほど集まり、先生の指導のもとで就活戦線を生き抜く力をつけてきました。

 

結果、全員マスコミに内定!!いえーい!!!

全国紙、キー局(報道記者職)、通信社…(地方紙は私だけ…!)

みんなびっくりするぐらい優秀なんです!!すごいでしょ!!(私以外)

 

私の就活ノウハウを伝えても反面教師にしかなりませんが、

彼らとともに「マスコミ就活勉強会」で実践していたことは、就活生のためになるのではないかと思いまして、エッセンスだけでも書いてみようと思います。

 

①新聞読み比べ→勝手に酷評

これは一種の企業研究ですよね。

読み比べぐらい誰でもやってるかもしれないんですけど、ポイントは複数人でやっていたこと。

7人いる勉強会のメンバーをA班とB班の2つに分ける。各班3~4人で、その中からS紙担当、Y紙担当、M紙担当、A紙担当、地方紙担当などと決めて、その週のテーマについての記事をとにかくかき集めて読みまくる。

 

勉強会が始める前までに、大学の図書館に集合して、各々が読み比べてきた内容を発表。

「いやあ~この狂いっぷりはマジS紙っぽいwwさすがに言い過ぎ」

「Y紙なんだから、もっと政府関係者に取材できたよねぇww内容うすww」

「あいかわらずM紙の社説はふわふわふわふわしてんなww」

「A紙の解説、小難しすぎる!この“一段上にいる”感じが鼻に付くよねww」

 ってな感じで、結構ざっくばらんにディスってましたw

(もちろん、いい記事もたくさん見つけます!!!)

 

それをいい感じにまとめて、勉強会で発表。A班・B班でお互いに質疑し合ったり、先生からの論評を受けたりして終了。

 

この読み比べの醍醐味は、図書館で新聞をコテンパンにこき下ろすこと。笑

もはやここが一番楽しい。

(もちろん、いい記事もたくさん見つけます!!!!!(2回目))

 

「自分たちが本気で志望している新聞と新聞業界のことを、ここまで掘り下げてる学生なんていないんじゃない?」っていう変な自信も生まれます。

留学経験のあるメンバーの意見とか、自分1人の視点では気付かない発見もたくさんある。1人で黙々と読み比べるよりかは、はるかに楽しいし身に付きます。

 

私が新聞を今でも好きな理由は、この読み比べ会にあります。

新聞の面白さも、問題点も、未来への課題も身に沁みてわかったから。

みんな本物のプロの記者になったけど、またこの読み比べ会したいぐらい。

 

ただ、活字を読んで、咀嚼して、自分に落とし込んでいく作業はかなりしんどい。

とある回の読み比べ班のグループLINEの名前が「夢で文字を吐く」的なものになりました。笑

本文のフォントと紙の素材で、どこの新聞か余裕で当てられるようになります。

 

②作文→他人の作文に赤字を入れる

 作文も、過去問集とかで過去のお題を調べて、作文用紙買って、時間測ってやれば1人できるんですが、これも勉強会でやることがポイントだったと思います。

 

勉強会のメンバーがゼミ部屋に集まって、神妙な面持ちで着席。

テーブルの上には、真っ白の原稿用紙と筆記用具。あと腕時計。

先生が「では、今回のお題はコレです」とホワイトボードに作文題をキュキュッと書いて、ストップウォッチのスタートボタンをピッと押して退室。

残された私達は、そこから1時間、本番さながらの集中力で作文を仕上げていきます。

 

大切なのは、そのあと。書いたら書きっぱなしじゃないんです。

全員の作文を人数分コピーして配布。

各々の作文を読んで疑問点や日本語的におかしいところに赤字を入れて、お互いに論評し合う。

仲の良い友人同士でもあるので、お互いの性格やバックボーンはなんとなく知っている。その上で「獅子さんらしい作文だわ~」って言われると本当に嬉しい。

 

この「他人の文章を添削する」ことは、本当に本当に重要だったと思います。

 

まず、無個性な作文ってどういうものかがわかる。

たった7人でも、書いている内容が似通ることがあるんです。その理由は、自分の体験を書いていないから。

日本の未来を憂いてみたり、若者の1人として内省してみたり。そんなことは誰でも書けるんです。その辺にいる学生なら誰でも書けそうな内容なんて、総じて面白くない。

こうして、たった800字で「会ってみたい学生」と思わせるトレーニングを積みました。

 

もう1つのメリットは、単純に文章力が上がります。

論文はさておき、作文を書く上での大事なことを学べました。

私はもともと文章で褒められることが多かったけど、他人の文章を添削したりされることで「読まれる文章とはどういうものか」っていうものを体得した気がします。

 

例えば、「四字熟語やことわざは安っぽいから使わない」とか。

 

作文のコツはこの他にもいっぱいあるので、また機会があればまた書くかもしれません。

 

 

今はまだコロナの影響で大学や図書館に行けなくて、私が紹介した読み比べ会や作文会をやろうと思ってもできないかもしれません。

その場合は、ビデオ通話アプリなどを活用してみてもいいかもしれません。

マスコミ就活対策で悩んでいる人は、是非参考にしてみてください。

 

ただ、1つだけ注意点を言っておきます。

熱心に新聞を読んでいるからって、優秀な新聞記者になれるわけではありません。

 

 

それでも私は、新聞を読むことを全力でオススメしたいです。

だって、面白いから!

 

この”面白い”にはいろんな意味を込めています。

記者になってもならなくても、メディアというものに興味が少しでもある人なら、新聞というメディアの面白さを味わっておくのはマイナスにはならないと思います。

 

情報に振り回されすぎないで。

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私は学生時代、幸運にも同じぐらいの熱量で同じ夢を目指す友人がいて、

ありがたいことに、実践的に指導してくる元プロがいました。

何十人もの現役記者さんと会って話を聞くこともできました。

 

Twitterでは「#マスコミ就活」って就活生同士つながれる文化が根付いているみたいですね、すごい。

新聞社名と本名を出している現役記者さんもいるし、当時からもっと活用しとけば~と思う反面、私の性格上、いろんな情報に惑わされて心が荒んでしまっていた可能性もあるな~とも思うと、アナログな方法で良かったかなとも思う。

 

就活は情報戦で、体力戦。あと強いメンタルも必要です。

もし不安になったら、私の新人記者時代のポンコツ日記でも読んで「こんなヤツでも新聞記者になれたんだから大丈夫」って安心してください。笑

 

自分に合った方法で、戦いを勝ち抜いていってください。応援しています!

 

また遊びに来てください!獅子まいこでした。

とっつきにくいけど、あえてとっつくと面白い。(半藤一利『昭和史』)

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現在、『小学館版 学習まんが 少年少女 日本の歴史』がシリーズ全巻無料公開されています。

kids-km3.shogakukan.co.jp

 

子どもたちの夏休みの自学サポートのためのようですが、大人が読んでもやっぱり勉強になる!

小学生のとき、図書館で1冊ずつ借りてたなあ…。スマホやPCでも読めるのが最高にありがたくって、ちょっとずつ読み進めています。

 

あなたは、どの時代が好きですか? 

文系・理系問わず、歴史好きな人は多いと思います。

あなたは、どの時代が/どの歴史上の人物が好きですか?

 

やっぱり、1番人気は戦国時代

今年の「麒麟がくる」をはじめ、「真田丸」「軍師官兵衛」「天地人」など多くの大河ドラマで描かれていますよね。

ゲームがきかっけで好きになった友人もいます。

 

あと、「西郷どん」「八重の桜」「龍馬伝」「新選組!」の幕末もいいですよね~。

カッコいい英雄がいっぱい出てくるイメージ。

銀魂』のせいで、沖田総司のこと、沖田総悟なのか総司なのか一瞬わかんなくなった事ある人。はい、仲間です。

 

あとは「キングダム」の国史も。三国志とかに全然触れずに生きてきたんですけど、勉強したら面白いんだろうな~と思って思って思い続けたままアラサーになりました。

 

 

私が好きな時代は、「日本近代史」です。

その中でも、日清・日露戦争第一次世界大戦~太平洋戦争~終戦までが1番好きです。

上記の無料公開している『小学館版 学習まんが 少年少女 日本の歴史』は、20巻の「アジアと太平洋の戦い」から読み始めました。

 

「あ、こいつ、ヤバイやつだ、読むのやーめた」って思ったあなた、ちょっと待って!!!

わかります、その気持ち!めっちゃわかりますよ!!!

私も、人となりを知らない人との雑談で「歴史上で1番好きな人物は山本五十六」とか言う人いたら…ちょっと無理かもしれない。笑

無理っていうかびっくりする。避けるべき会話のタブーの3S(政治・宗教・スポーツ)をなんかちょっと侵されたような気分というか。なんでだろうね、別にただの歴史上の人物って意味では坂本龍馬と同じなんだけど。私だけかなあ。気にしすぎ?

まあ、私はそういうときは大谷吉継って答えるようにしています。

石田三成好きなかた!仲良くしてくださーい!!)

 

戦国史好き」はOKだけど、「戦時史好き」(っていう言葉が正しいのかわかんないけど)はちょっと危ない感じ。

私はその理由をこう考えています。

 

・いろんな思想・主義が、今生きているこの時代まで地続きでつながっている

・学校であまり深く教えられない

・歴史にしてはついこの間すぎる

 

南京大虐殺」「靖国神社参拝」「憲法9条」とか、あれこれ語るにはヘビーな問題の端緒となる時代。

だからこそ「日本近代史学びたい」って考えている人も多いと思います。

すぐ昔の出来事で、現代と直結しているからこそ。学校であんまり教えられないからこそ。友達との雑談で話題に出にくい時代だからこそ。

 

そんな人にまずオススメなのが、半藤一利さんの『昭和史』です。

読みやすい語り口調だから、この時代に詳しくなくても内容がスッと入ってきます。

 

右や左のごちゃごちゃも、それすらも楽しんでみる

日本近代史は、複雑なところが全部ひっくるめて面白い。

 

「戦時史好き」といっても、「戦国史好き」が”戦うことそのもの”が好きではないのと同じで、別に戦争が好きなわけではありません。ミリオタでもありません。

 

戦国時代の人が関ケ原の戦いの面白さを語るのと同じぐらい気軽に、日露戦争とか語っちゃう感じなんです。

いや別に、語らないんですけどね!語ったことなんてないんですけど!笑

 

ただ、この時代を勉強しようとするのって、本当に難しくて。

この『昭和史』に対しても、半藤一利さんに対しても、懐疑的・批判的な論者は一定数いると思います。

極端なことを論じている書籍もたくさんあります。

特定の層が喜びそうな思想が透けて見える、戦中を描いた映画もあります。

 

本当に難しいんだけど、私は「右とか左とか、いろんな考え方する人がいる世界だ」って自覚しながら、「これはこういう人がこういう視点で描いているんだな」って客観視して、そういうことも全部ひっくるめて俯瞰しながら勉強しています。

 

趣味の一環としての勉強なので、「思考するときの持ち駒を増やす」「社会のことを考えるときの視野を広げる」ことが目的です。

何かを妄信的に信じたり論じたりすることもありません。「戦争は絶対にダメ」ぐらい。

 

だから、この時代を勉強することは2つの意味でおすすめです。

①バランス感が養える

私は、何事も偏ることは危険だと思っています。

「世の中にはいろんな考え方があるな」って知ることができます。別になにか行動に起こす必要もない。ただただ”知っておくこと”に意味があると思います。

 

②自分の頭で考える力がつく

降り注いでくる情報を、なんの疑問も持たずに吸収することも危険だと思っています。

この時代の複雑さを理解することで、今の政治とか外交問題とか、複雑なことを考えるとき「この情報だけで判断してもいいのかな~」って勝手に黄色信号が灯ります。

私は灯るだけなんですけど。やっぱり、特に行動に起こすことも無いんですけどね。笑

 

かなり守りに入った文章でした。笑

なんか小難しいことを言ってしまったんですが、なにが言いたかったかと言うと、幕末期の混乱がなんかワクワクする人は、そのノリで終戦までの歴史も読んでみてください。

たぶん、楽しめると思います。

残念なことに、カリスマ的英雄は出てこないんですけどね…。

 

どうか、「こいつヤバい」って思った人の、誤解が解けていますように…。笑

 

『日本の歴史』21巻がアツかった

冒頭の『小学館版 学習まんが 少年少女 日本の歴史』の話に戻ります。

 

21巻「現代の日本」を読みました。終戦~平成初期ぐらいのことまでが書かれています。

私が生まれるちょうど直前ぐらいまでの時期ですが、父や母はとっくに生まれているんだよな~と思うと、歴史まんがなのに不思議な感じです。

 

21巻では、戦後の日本はいろんなことがあって、紆余曲折して今日につながるってことが描かれているんですけど(適当に流しましたすみません)、

ちょっと心に残ったことがありました。

 

26ページ目。

投票所で投票する女性たちの絵とともに「婦人の参政権が認められて、二十歳以上の男女すべてが選挙権をもつようになりました」という説明が。

吹き出しには「男女同権になったのね」とある。

 

いや、めっちゃ知ってるんですけどね。小~中~高校の歴史や公民とかで学んだことなので、もちろん知っているんですけど、改めて読むと「たった75年前なんだな~」って歴史の浅さにびっくりしたんです。

75年って、人の一生より短いぐらい。

76年前は、女性って選挙行けなかったんだって思うとなんかやばいよね(語彙力)。

 

そして今日は東京都知事選。国政選挙ではないけど、こちらも女性の参政権が認められたのは戦後から。

 

別に私の1票で東京が変わるなんて思ってない。笑

でも、投票することに意味があるんだなって、まんが『日本の歴史』に教えられた気がします。

 

都民の皆さん、男性も女性も。せっかくなんで投票所行きましょうね。

私も、今から行ってきます。

 

 

BOOK Information

『昭和史 1926-1945』

著者:半藤一利

出版社:平凡社

出版年:2009/6/10

 

あなたの原稿、編集さんが陰でブチ切れてるかも…【フリーライターさんへ】

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獅子まいこです。

先日見掛けた、元TBSアナウンサーでタレント・エッセイストの小島慶子さんのツイート。

 

 3つの意味で驚きました。

①小島さんと全く同じことを言っている編集者が周りにいる

②小島さんほどの著名な方のインタビュー原稿なのに、そんなレベル低いライターがついていること

③リプ欄に、「書き起こしのときに一字一句変えないのが誠実さ」と言っている人がいたこと

衝撃。
 

「小島さん、私が書くのに!!!!!」って、思わず心の中で叫びました。笑
 

 

編集者のキレポイント

私は新聞記者、雑誌編集者を経てフリーランスとして独立しました。

現在は友人Aが勤める出版社や友人Bが勤めるWebメディアで、ライターや編集や記者として働いています。

彼らが、先ほどの

①小島さんと全く同じことを言っている編集者が周りにいる

の「編集者」のことです。

 

彼らとは学生時代からメディアのことを勉強してきた仲で、私を含め全員、元・新聞記者。

メディアで情報を発信することについて、一定の知識と経験、そして矜持があると思っています。

 

彼らはよく「素起こしみたいな原稿送ってくんじゃねえよ」と愚痴をこぼします。笑

私の原稿のことではないことに安心しつつ、決して「他人事ではない」と肝に銘じながら聞いているのですが、あまりにそのレベルが低くて(すいません)衝撃を受けるんです。

 

①口語表現のまま
 

リライトに疲弊した友人Aはこう言っていました。 

「『本社を横浜に引っ越した』って、なんていうか記事にすると若干間が抜けない?

『移転した』に書き換えるとかさ。

そういう痒いところに手が届かない感じ。まあ早く原稿出してくれたからいいんだけどさ。」

 

私は思わず「直さないんだ…(絶句)」でした。

確かに取材した人は「引っ越した」って言っていたのかもしれないけど、記事にするにあたって加筆修正するのもライターの仕事のはず。

ただの素起こしなら、録音をAIにでも文字起こしさせとけばいい。

そんなクオリティで納品しちゃう姿勢に、同じライターとして腹が立ちます。

 

②会話文の構成のまま

LINE通知が鳴り止まないレベルの超高速連投で、友人Bはこう嘆いていました。

 文末が「です・ます」で、対話形式のインタビュー原稿でのこと。 

「ある分野の専門家に取材したのよ。

MaaS(マース)が特集の1つのキーワードになっていたから、本文の1番最初の質問が『近年話題のMaaSってそもそもなんですか』だった。

それは全然いいんだけど、それに対する答えが、次の専門家ターンの中に一向に出てこない。

 

どこ?どこ~~~???って。

結局そのターンの最後の最後にちょこっと触れただけ。しかも答えの形にすらなってなくて絶望した」

 

知らず知らずのうちに誰かを絶望させているって、こんな罪深いことないわ。

このライターさん、文字起こしのまま再構成とかせず出したんだろうなあ…。

「MaaSってなんですか?」って質問から始まったら、読み手は「MaaSってなんだろう?」っていう気持ちで読み進める。あると思った場所に答えがないとただのヤキモキタイム。その間に内容なんて入ってこない。

 

(※MaaSがなにか気になったかたは、こちらの日経電子版へどうぞ)

www.nikkei.com

取材っていう人と人の会話の場面で、「Aってなんですか?」「はい、Bです」って理路整然に話が進むことはほぼなくて、たとえ話や事例を挙げてわかりやすく説明しようとしてくれることが多いと思う。

 ただ、そのままそれを文字にすれば冗長な記事になるだけ。

 

会話と記事で、文の構成は違うということをあまり理解していないライターがいるらしい。怖い。

 

編集から、フィードバック受けたことありますか?

でも、本当に怖いのはここからなんです。

 私は友人2人に尋ねたんです。

こんなに激ヤバ原稿ばっかり送られ続けたら、自分の仕事量もストレスも増えるだけ。

「ライターにフィードバックしないの?」って。

 

2人は揃ってこう答えました。

 「しないね~。」

 

そして友人Bはこう続けた。

「フィードバックせずに全部自分で直すほうが、なんだかんだ早いんだよね。

 

そういうライターはそういう原稿を頼むっていうか。

例えば、なんでも良いから文字になった原稿が早く欲しいときとか、素起こしレベルでもいいから欲しいってときには重宝するから。」

 

…怖っっっっ!

 

諦められている!編集に!!

 ライターとしての能力を見限られている。

このライターはきっと、この媒体で書いている限り、永遠にスキルアップすることはない。

 出版社勤務の編集者にフリーライターを育てる義務なんてないもんね。そりゃそうです。

 

小島慶子さんの件のライターも、ちゃんとしたフィードバックをされたことが無いんじゃないかと思う。

だから小島さんがどんな思いで赤入れし続けているのかもつゆ知らず、ずっと口語書き起こしみたいな原稿出し続けていたのかもしれない。

(出来上がった誌面見れば、自分の原稿とぜんぜん違うことぐらい分かるけど…。)

 

継続的に仕事をもらえているからって、「ライターとして認めてもらえている」って手放しに安心していいわけじゃない。

 

もしかしたら、あなたの担当編集さん、あなたの原稿にブチ切れながらリライトしているかもしれませんよ。 

まとめ:自戒

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私はライター養成講座を主宰しているわけでもないし、著名な媒体で何十年も書いているようなライターでもありません。

上から目線で申し訳ありませんでした。

 

友人2人の証言という、心許ない裏取りです。

フリーライターの方で、担当編集からフィードバッグが無いからって、必ずしも「だめライター」認定されているわけでもないと思います。

 

でも、担当編集と対等に言い合える関係を築くことはメリットも多いので、強くオススメします。

 友人以外の担当編集さんとは、今関係を築いている最中です。

でも、野球を観に行く約束したので、きっと仲良くなれると思います(希望)。

 

 

私は、人生の果てしない目標の1つが「この世からクソ記事を撲滅する」であると、自己紹介記事で宣言しました。

※“クソ記事”とは、ネットに蔓延る、中身のない、転載とコピペを繰り返しただけの記事のことを指します。 

yutori-zaregoto.hatenablog.com

 その延長線上には「職業ライターなのに文章が書けないクソライターの撲滅」があると思っています。

“撲滅”だなんて暴力的な表現の言葉を使っていますが、決して「死」を意味しているわけではありません。

「編集を困らせないライター=優秀」というわけではないこともわかっています。

 

ただ、情報を発信する者として、自覚を持ったライターが増えてほしいと思っています。
少しでも世界がよくなることを願います。自戒を込めて。

 

獅子まいこでした。