新聞記者、辞めました。

新聞記者、辞めました。

新聞記者、辞めました。でもなんやかんや新聞やメディアが好き。社会のいろんなこと考えていたいゆとりの戯れ言。

運転中に過呼吸になって救急車で運ばれた話:後編<#8>

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前編<#7>のお話

地方新聞記者1年目、最もタフと言われる警察班ことサツ担に配属。

毎朝毎晩のサツ回りの疲れ、副署長ほか警察関係者からの心無い言葉や態度、デスクからの叱責や社内の人間関係諸々で心が疲弊していた。

そのストレスがピークに達した6月末のある日、運転中にデスクからの電話取った瞬間、突然過呼吸に襲われた。

yutori-zaregoto.hatenablog.com

 

人生で初めて、救急車を呼んだ。しかも、自分で自分のために。しかもしかも、自分の担当している警察署の駐車場に

 

運転席に座ったまま上半身は助手席へと横たわらせ、スマホをスピーカーにして119番を押した。

通信指令課のお兄さんは、場所を聞かれて私が「〇〇警察署の駐車場です」と答えたとき、少しびっくりしたような間があったことは覚えている。

でも、私が職業と社名を正直に答えたあとも、別に冷やかしたりバカにしたり哀れんだり、そんな雰囲気は微塵も感じさせない対応だった(そりゃそうか)。

自分で救急車を呼んだ後、横になったままひとしきり過呼吸と戦った。初期の頃と比べるとだいぶ収まって来てはいたが、油断するとまたぶり返す。

おもちゃを兄弟に取られてわんわん泣いて、ママに被害を訴えるんだけど「ひっく…ひっく…」って嗚咽してうまく話せなくて、目をうるうるにして鼻を真っ赤にして泣くしかできない。そんな5歳児みたいな状態の23歳の自分が、とてつもなく情けなかった。

 

頭がぼーっとしてきた頃、運転席の窓がノックされる音で起きた。上体を起こし窓の外を確認すると、同じサツ担で1期上のW先輩(男性)だった。

デスクと電話したとき「Wを行かせるから」と言っていた。W先輩も本来自分の業務があったはず。とてつもなく申し訳無い気持ちに襲われた。

W先輩は助手席のドアを開け、ペットボトルの水をくれた。

過呼吸の症状もさることながら、エンジンを停めたまま密閉した車内でしばらく過ごしていたため、軽い熱中症にもなりかけていたようだった。

午前中に取材した、ヤミ軽油抜き打ち検査の一幕を思い出す。警察官たちが検査協力のお礼として、トラックの運転手たちに「熱中症に気をつけて」お茶を渡していた。

取材後、余ったお茶を「獅子さんもどうぞ」と差し出された。記事の執筆や撮影で必要である場合を除いて、官民ともに取材先からこういった物品を受け取ることは禁止されている。

馬鹿正直に守った自分がとてつもなくアホらしかった。別にお茶1本もらったからって、警察への監視が弱腰になるわけでも、サツの言いなりになるわけでもない(そもそも、そこまで人間関係を親密に築けていないw)。

 

シャツの袖で涙をぬぐいながら、W先輩から渡された水を飲む。

ふと自分の手首を見ると、長袖の白シャツのカフス部分が、涙で落ちたアイシャドウで茶色く汚れていた。

上品にハンカチなんかで拭っている場合じゃなかった。メイクが落ちるのなんてなりふり構わず、両手首の内側で目をこすっていたのだった。

「あ、汚れちゃってる…」

W先輩に聞こえるか聞こえないかの小さな声でつぶやいた。

心配の声を掛けてくれるW先輩に、心からの謝罪をした。

すると、遠くから救急車のサイレンが聞こえてきた。

 

救急車は、関係者用の細いU字坂を登ってくることなんてないだろなあ。堂々と警察署を正面突破してくるに違いない。驚いている副署長や署員たちの顔が浮かぶ。

はあ…。また大きな失敗をやらかしてしまった。

いずれ誰がなぜ運ばれたかはすぐに判明する。憂鬱憂鬱ででしょうがなかった。どうか、誰が運ばれるのか物見見物してくる人だけはいませんように…。ただただ願っていた。

先輩が救急車を誘導してくれた。

私は運転席から降りた。自力で歩ける状態だったけど、担架に乗せられた。タオルで口元を覆うふりをして、顔を隠しながら横たわった。

W先輩は、私の車を本社まで乗って帰る使命を負っていたので、救急車に乗る寸前で別れを告げた。

 

――それでは、W先輩はどうやってこの警察署まで来たのか?W先輩が乗ってきた車は一体誰が乗って帰ったのか。

その答えはのちのち聞いたことで、W先輩はキャップが運転する車に乗り、2人で警察署に来ていた。キャップは私が萎縮してしまうだろうと気を遣ってか(どうかはわからないけど)、私に顔は見せなかった。もしかしたら警察署にお騒がせしてしまったお詫びをしに行ってくれていたのかもしれない。

ついでに言うと、デスク、キャップ、裁判に行っていたはずのSさん、W先輩、同期のK、これらサツ担の全員になんらかの予定変更を強い、私の尻拭いをさせていた。

申し訳無さと情けなさで、丸4年経った今でも心が苦しくなる。使えない新人で、本当に本当に申し訳ありませんでした。

 

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生まれてはじめて、救急車に乗った。せっかくの経験だったのに、あまり車内を観察することはできなかった。

ただただ、そばについてくれた40代ぐらいの男性の救急救命士さんが優しかった。

止まらないでいる涙を拭うようにと、きれいに畳まれたガーゼを渡してくれた。これでやっと、お上品に涙を拭える。24時間テレビでVTRを見てポロポロ涙がこぼれてしまっているゲスト女優みたいに。でも、涙の量に対してガーゼは無力だった。

 

ゆとりとはいえ「不要不急な通報が増えているせいで、本当に救急搬送が必要な患者への出動が遅れている」ということはもちろん知っていた。何度か関連の取材もしたことがあった。

救急救命士さんに「なんか、こんなことで(救急車呼んじゃって)すみません」と侘びた。彼は、呆れたような素振りも返事に困ったような素振りも見せず、優しく言った。

 

『新入社員さんだもんね。お仕事が大変だったんでしょう。がむしゃらにやってこられて、今日は暑さもあったし、体も心も悲鳴を上げたのかもしれないですね』

 

ボロボロでスカスカになっていた私の心に、温かい言葉の1つ1つががものすごい勢いで染み込んで広がっていくのを感じた。

新人新聞記者の大変さを知っていたのか、想像してくれたのかはわからないけど、救急救命士さんの優しい言葉でさらに涙がこみ上げてきた。

私は「たまに、いるんですか?こうやって過呼吸で運ばれちゃう新入社員とか」と尋ねてみた。

『ええ、いますよ。』

この街のどこかに仲間がいる安心感を得られたのもつかの間、救急救命士さんはこう続けた。

 

『高校生の女の子とかが、学校で過呼吸になっちゃったりしてね……』

 

――私はこの言葉で、一気に悲しい現実と向き直らざるを得なかった。自分が今、どういう存在に成り果てたのか。世間的に「お前」はどう思われているのか。

 

いたなあ、高校のとき。友達とケンカしたとか彼氏にフラれたとかで過呼吸になって保健室に駆け込んでいた女子。

(当人は当人なりに大変な状況なんだと思うけど)1ミリも彼女たちに共感できなかったというか。っていうか興味すら無かった。「何しに学校来てんだろ~」って思ってた。

だいたい校則よりもスカート短くして、デコログ(世代なんです)に病み投稿ばっかりしてるような、かまってちゃんで、メンヘラ気質で……

――そうか、今の私って、こうやって見られているんだ。

上司に怒られて耐えられなくなって過呼吸になっちゃった、ヘタレゆとりメンヘラ女子新入社員。

 

救急救命士さんも、そりゃ、優しくしてくれますよね。

ストレッチャーに横たわった状態で、なんだか、肩の力が抜けた。

もう、戻れない。もう、取り戻せない。

過呼吸で救急車で運ばれる」前の状態の私には、もう永遠に戻れないことを悟った。

 

救急車の側面に目を見やると、上部の棚に詰め込まれた救急資機材がガタガタ揺れていた。すりガラスからは外の様子は見えないけど、サイレンを流しながら市内のどこかを走っている。確実に私は救急車で運ばれていた。

 

「意外と、揺れるんですね」

『そうなんです。だから出動時は急いでいくんですけど、搬送時は患者さんによってはかなりゆっくり走るんです。救急車は以外とゆっくりなんですよ』

 

へえ、と相槌しながら、このちんたら走る救急車のせいで渋滞が起き、イライラしている後続車の運転手の顔が浮かんだ。

 

どれだけ迷惑な奴だなんだろう私。みなさま本当に申し訳無いですと、今日何千回目かの謝罪を心の中でした。

 

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市内の大病院に着いた。ストレッチャーのまま、広い処置室に運ばれ、カーテンで区切られている中の1つのスペースに移された。

看護師さんの説明が全然聞き取れないまま、とりあえずうなずいていると、そのまま点滴が始まった。

 

空いている右手で、デスク、キャップ、警察署まで来てくれたW先輩、同期のKに謝罪のメールを送った(裁判担当のSさんはこの事態を知らないと思っていたので送らなかった)。すぐに返信が来たキャップからの「気に病む必要なし。今は体を休めることに集中すること。返信不要」みたいな内容が今でも心に残っている。

強面でいつも眉間にシワを寄せていて、近寄りがたい印象のキャップの人となりそのままだけど、なんだかキャップなりの優しさを感じて、ちょっと心が休まった。

 

点滴は30分ぐらいだった。インフルエンザに罹ったときなどで点滴は経験済みだったけど、「水分を体に入れるってこういうことか!!!!」って実感するほど、ものすごい勢いの尿意とずっと戦っていた。

点滴の袋の液体が無くなったところで、座高が異様に高いイス?というかベッド?から命がけで降りて、お手洗いへ向かった。

鏡を見ると、号泣のせいなのか、点滴によるむくみなのか、まぶたはパンパンだった。

アイシャドウはすべて手首の袖。情けない顔で、また泣きたくなった。

 

その後、待合室へ移動してしばらく待っていると、診察室へ呼ばれた。

お医者さんから「お仕事大変で~ストレスで~」みたいなことを言われたような気がするけど、あんまり覚えていない。覚えているのは、診察してくれた人の名札を見ると「研修医」的な肩書だったこと。若かった。多分同世代なんだろうな。キラキライケメン医者の卵スマイルが、まぶしかった。

 

診察後、再び待合室で待っているところで、迎えに来てくれたデスクと合流した。別に、デスクの顔を見ても過呼吸は出なかった。

ただひたすら謝った。パンパンに腫れている顔を見られたくなくて、自分の太ももをずっと見つめていた。

 

ただ、1つ心配事があった。だけどデスクに相談はできなかった。それは「治療費が払えるのか」ということ。

――救急車の配車代金っていくらだ…?絶対高いよね…点滴っていくらするの…?カード払いできるの…?!今財布にいくら入ってたっけ…?!

財布にお金が無くて払えないという社会人として情けない事態を想像して、デスクとの雑談も上の空で気を揉み揉みしていた。

結果的にはちゃんと処置費は支払えたが、残金数百円のギリギリのラインだった。

 

病院を出たのは、17時ごろのことだった。

病院からの帰り道、デスクは自身の新人時代の失敗談とかを話ししてくれていたような気がする。でも記憶にない。ずっと「あ~私はサツ担クビになるんだろうな~」と考えてていたから。

だから「今日はもう上がり。家まで送る」「明日から月曜まで休め」と突然の4連休を言い渡されても、喜びよりも「私はもう必要ない人間なんだ」という気持ちが勝っていた。

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家に着いて、袖がアイシャドウで茶色く汚れているシャツを脱ぐと、ぐるぐるに丸めてゴミ袋に突っ込んだ。ついでに、スラックスのポケットに入っていたガーゼもゴミ箱に放り込んだ。

 

まず母親に電話して今日の出来事を伝えた。

大学のサークルのLINEグループには、社会人1年目のボーナスの有無で盛り上がっていた中に「今日勤務中に救急車で運ばれたんだけどw」と投稿し、場を荒らした。

新聞記者の仕事の大変さをアピールするのに、今月の残業時間は良い指標になった。まだあと1週間残っているというのに、150時間を超えていた(もちろん、残業代はみなしだよ!!!!)。

ゼミ同期で記者になっている友人のLINEグループや、中学校からの親友にも、同じように連絡した。

全員、私の昔からの性格を知ってくれている。だから私のことを「ヘタレゆとりメンヘラ女子新入社員」と思って軽蔑してくる人はいない。だから、心から心配してくれたし、4連休ちゃんと休めよ、と言ってくれた。それだけが本当に救いだった。

 

友人たちとLINEをしているうちに元気になってきたので、近所のスーパーに向かった。ここでやっと、棚ぼた4連休の幸運をめいっぱい享受してやろうという気持ちになった。

大好きなローストビーフやチョコレートを大量に買い込んでいる最中に、義姉から電話がかかってきた。

兄家族は、私の両親たちと2世帯住宅で一緒に住んでいる。義姉は母親から今日の私の様子を知り、心配で電話を掛けくれたようだった。

 

私と兄は10歳差。義姉とは11歳差。義姉は美人で脚も細くて、優しくて明るい。私が高校卒業とともに実家を出たあとも、なにかと気に掛けてくれる優しいお姉ちゃんだった。

『まいこ、聞いたで、お義母さんから。大丈夫だったん?』

なによりも体調を気遣ってくれる家族の声が、嬉しかった。

義姉にも今月の残業時間を伝えた。過労死する前にはちゃんと辞めるから、と冗談めかして話した。

 

「もし記者辞めたら…トラックの運ちゃんにでもなろーかなーどう?」

 

今日の取材で出会ったドライバーたちを思い出していた。男社会で体力勝負の父の仕事。もちろん今まで、憧れることもなければ目指したいと思ったことなんて1度も無かった。でもなんだか今日だけは、新聞記者なんかよりも、この世のどんな仕事よりも、なぜかカッコよく感じた。

 

『まいこ、それだけはやめとき。笑』

義姉は笑って答えた。

 

<続く>