新聞記者、辞めました。

新聞記者、辞めました。

新聞記者、辞めました。でもなんやかんや新聞やメディアが好き。社会のいろんなこと考えていたいゆとりの戯れ言。

運転中に過呼吸になって救急車で運ばれた話:前編<#7>

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ゆとり・ポンコツ・ヘタレな新聞記者1年目の阿鼻叫喚な日記を、数回にわたって書いてきました。

4月の入社から配属、5月のサツ回りでのハプニング。

「数年前の今頃は、こんなことしてたんだ~」と未熟な自分に思いを馳せながら、実際の時期に合わせて投稿していました。

この#7は6月下旬のできごと。今日は7月30日。約1ヶ月のズレ。

1ヶ月の間、この話を書く筆が進まなかった。

このことを思い出す勇気がわかなかった。

これを読んだ人に「こいつマジモンのポンコツじゃん」って思われるのが怖かった。

 

それだけ、この日は自分にとって忘れられない1日でした。

その長い長い1日を思い出していきます。

 

2016年6月23日。私は新聞記者失格の烙印を押されました。

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蒸し暑い日だった。

この日は朝から取材があった。

車で30分ぐらい走らせた隣市の国道で「ヤミ軽油」の抜き打ち検査があった。

(「ヤミ軽油」とはなにか気になる方は、こちらの週間ダイヤモンドの記事へどうぞ)

https://diamond.jp/articles/-/1648

 

主催は税務当局か県警か、もしくは共催。たぶん。

警察官が通過するトラックを1台1台止めて広い路肩に誘導し、職員がガソリンタンクからスポイトで少量のガソリンを採取していく。

検査薬を入れて、反応しなければOK。

記事の写真用に、採取の様子を数パターンカメラに収める。大して代わり映えしないので、何十枚も撮る必要はなさそうだった。

同じく取材に来ていた地元テレビ局も、数台分の検査を撮影して署員のコメントを撮ると、さっさと引き上げていった。

 

警察官は、検査協力のお礼としてトラックの運ちゃんにティッシュやペットボトルのお茶が入ったセットを渡していた。

「ご協力ありがとうございました!今日は暑くなりそうなんで、熱中症気ぃつけてくださいね!」

『どーもどーも。ご苦労さんです~』

 

トラックの運転席は普通の車より高い位置にあるので、背の高い警察官も背伸びをしながら、窓からお茶を手渡ししていた。

車体がとんでもなく長いトラックも、運ちゃんたちは自分の身体の一部のように迷いなくハンドリングする。

検査を終えると、颯爽と国道へ戻っていった。

私の父も、長距離トラックの運転手。

浅黒く日焼けした腕でお茶セットを受け取る運ちゃんたちを見上げながら、父の姿を重ねていた。

 

約2時間の抜き打ち検査の結果、「ヤミ軽油」トラックは0台。

署員からコメントを頂戴し、取材終了。

私は車に戻り、前日に仕込んでいた予定稿に加筆し、デスクに送信した。おそらく、正午過ぎのことだった。

この日は、13時か14時頃から本社ホールで講演会があった。

なんの講演会だったかは覚えていないが、重要度の高いものではなかったと記憶している。

こういった類の講演会の出席は、報道局の記者はある種、“任意”。

取材とバッティングしたら、気兼ねなく仕事を優先しろというのが通例だった。

突発的事案が起こる社会部のサツ担は、中でも出席率は低かった。

 

ヤミ軽油抜き打ち検査取材後は、特に振られている取材案件はなかった。

だが、事件事故記事や街ネタとは別に、任された企画記事の取材を進めているところだった。今日も、担当署の副署長に話を聞きに行こうと思っていた。

 

1時間程度の講演会だし、時間的に行こうと思えば行ける。

久々に同期の顔を見たら、精神的に元気になるかもしれない。

でも、私ごときの分際で出席していたらデスクに「企画記事全然進んでいないのに、呑気だな」「お前なんか講演会は行かずに取材進めろ」って言われそうな気がした。

お昼ご飯を食べる時間を削るのもはばかられたので、結局、講演会には行かないことに決めた。

ランチタイムと言っても、場所はローソン。

警察署の近くのローソンでサンドイッチを買い、狭い車内でサンドイッチを食べていた。

 

デスクからメールが届く。先ほど送った原稿についての指摘だった。

国道◯号線の数字が間違っていた。この手のミスが多い。きちんと確認しているのか、気が緩んでいるんじゃないのか、というやや長い文面のメールだった。

ここ数週間、固有名詞などのケアレスミスばかりするようになっていた。

自分では、送信前に何度か読み直し、チェックソフトでスキャンもして、集中して書き上げているつもりだった。

「几帳面で完璧主義」。今までの私はそうだったから。些細なミスがあったとしても、即刻必ず修正する。何事も抜かり無くこなせるタイプだと思っていた。

 

――なぜまた間違ってしまったんだろう。

前日、予定稿を書いていた記憶までさかのぼる。

過去記事をほぼトレースして書いた原稿ながらも、固有名詞を1つずつ参照しながらチェックをして、デスクに記事を送る前にも確認をしていたつもりだった。

なにをどうやってもミスをしてしまう自分に落胆した。

自分じゃないポンコツな誰か」に体を乗っ取られてしまったような気がした。

 

重い気持ちで、デスクに返信を打つ。

確か「なぜまたミスをしたのか」と理由を聞かれたから、それに対して答えたような気がする。

「過去記事を参考にしていたため、国道の号線がそのままになっていたのかもしれません」と。

 

すぐにデスクから返信が来た。

4年経った今でも忘れもしない。この言葉。

 

「過去記事の流用なんて、そんなこと語るに落ちた

 

「語るに落ちた…?」

前後の文脈から、そんなこと言うほどではない、お前の話は論じるに値しない。というお叱りの言葉だと感じた。

ああ、「過去記事の流用でミスするなんて、記者なんて務まるか」と言われているんだと。

私は純粋に「語るに落ちた」意味がわからなくて、スマホで意味を検索した。

「語るに落ちる」

(「問うに落ちず語るに落ちる」の略)問い詰められるとなかなか言わないが、かってに話させるとうっかり秘密をしゃべってしまう。

・・・?

他のサイトも検めた。

他人に質問されているときは警戒して秘密を守っている人でも、自分から話をするときにはうっかり本当のことを口にしてしまうものだ、という意味です。

・・・・??

なんか意味通じてなくない…?

 

次のサイトではこう書かれていた。

・後半だけ切り取った使い方が定着したせいか「論ずるに値しない」というような誤用が見られます

……誤用やんか!!!!!!!

思わず車内で独りごちた。

 

「語るに落ちないの使い方間違ってますけどwww」「論ずるに値しないって意味じゃないですから!!!」「まさにデスクは記者として語るに落ちたんじゃないですか?あ、これも誤用だ(*ノω・*)テヘ」って送ってやりたかった。

でも、当時の私にそんな戦闘力も勇気も残っていない。

ただただ理不尽で、どうしようもなく悔しかった。

このまま、もうどこかに消えてしまいたいと思った。

もう、私の心はすでに、壊れていた。

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メールを返信し終わり、サンドイッチを食べ終えた。

頭は、企画記事のことでいっぱいだった。

今振り返れば、完全にキャパオーバーだった

初めての企画記事。絶対にいい記事を書いてやろうと思っていた。

でも、日々降り注ぐ事件事故対応、1つの漏れもなく容赦なく振られる街ネタ。

企画記事で予定していた遺族取材がうまく行かず、心は折れていた。

でも、書かなきゃいけない。

副署長に話を聞かなきゃ前に進まない。

 

「**の件の取材で〇〇署に行ってきます」とデスクにメール。

(場所移動するときや、次の取材に行くときなどは、逐一メールする決まり)

ローソンから車を出して、警察署に向かった。

 

数分走らせていたところで、ケータイが鳴った。デスクから着信。

身体がこわばる。

警察署への道を左折して、一旦逸れる。公民館とセミナーホールの建物の間の、車通りも人通りも少ない道に入って、路肩に寄せて停車しながら、通話ボタンを押す。

「っはい!獅子です」

「獅子、講演会は?なんで来てないの?」

「あ…すいません。」

反射的に謝る。

講演会に来ていないことについて、お叱りの電話だった。

 

デスクは、ここ数日の私の様子や、先ほどの「署に取材に行く」という報告メールからも、私の今の苦しい状況を汲み取ってくれていると思っていた。

キャパオーバーになりながらも、初の企画記事に向けて各方面に取材をしている。

聞いても聞かなくても、出ても出なくても大して変わらないような社内講演会に出る暇なんてないくらい、いい記事を世に出すための時間を作ろうとしているのだ、と。

そんな甘いことがあるはずもなかった。

今更、そういえばデスクは気を配れるような人ではなかったわ、ということを思い出したところで、なんの慰めにもならなかった。

電話口では、俺は獅子が講演会に出なくていいなんて言っていない、例えば今日裁判が入っているSならいいけどと、容赦なく後出しジャンケンで叩かれた。

わからなかった

講演会に出ないことが、それほど長々と(実際は数分だと思う)怒られ続けなければならない意味が。

私のこの取材は取材ではないの?仕事じゃないの?もはや私って、記者じゃないの?

 

デスクがなにか言葉を発するたびに、ここ数週間、企画記事のために流してきた涙や、ひいては新聞記者になっての1日1日が、新聞記者を夢見ていた学生時代のあの数年間の努力が

すべてさらさらと無に帰していく感覚になっていた。

電話を切った。

車をUターンさせ、警察署へ向かう道に戻る。

5分ほど走らせれば着く場所だった。

その道中、泣いていたか、泣くのをこらえていたのか、何を考えていたかは覚えていない。

警察署は小高い崖?のような場所の上にある。関係者用の駐車場は、傾斜があるUの字の細い小道を登りきった先にある。その小道は車2台がギリギリすれ違える細さだ。

その急斜面に差し掛かったとき、またケータイが鳴った。

デスクから着信。運転中だったが、通話ボタンを押した。

 

デスクが何か言った。

その瞬間、涙が止まらなくなり、同時に過呼吸に襲われた。

パニックになってしまい、とにかく車を停めようと思った。でも、こんな見通しが悪い急傾斜の道で停車はできない。

左手でケータイを持ったまま、右手でだけでハンドルを操作する。

とにかく、駐車場に向かうしかない。0.何秒の判断の間に、対向車が来ないことと、駐車場が空いていることを祈った。

右手を外側にめいっぱい大きく振り切って坂を登りきった。

空いていた駐車スペースに車を頭から滑り込ませた。

落ち着け、落ち着け、と自分に言い聞かせても、2段階で息を吸い込む呼吸のリズムは元に戻らない。自分のバッグの中に袋のようなものは入っていない。どんどん息苦しさがひどくなっていく。

エンジンを切る。

両足のふくらはぎから下の感覚が無くなっている。力が入らない。

止まらない涙をシャツの袖口でぬぐいながら、シートベルトを外し、上体を助手席に倒れ込ませた。

デスクからの電話はいつの間にか切っていた(切れていた)。

 

過呼吸と泣いているのがバレるのは避けたく、まだ掛け直すことはできない。

メールで「あと30分ほど待ってください」と送ろうとした。

30分もあれば、この状態も落ち着くはず、という根拠のない自信があった。

30分でいい。とにかく心と体を落ち着かせる時間がほしかった。

しかし、しびれが腕から指先にも来ていた。文字が上手く打てない。

 

その瞬間、メールが届いた。

同じサツ担の同期のK(男性)だった。

講演会で、同じく同期の「Yくんと久々に会ったよ~」というのんきな内容だった。

社内では1番仲がよく、サツ担同士で悩みを相談し合っていたK。

彼にならこのボロボロの状態でも話せる。

デスクに伝言をお願いしようと思い、Kに電話を掛けた。

「どうした?獅子」

電話の背景では、Yの話し声や笑い声も聞こえた。講演会終わり、久々に顔を合わせた同期やなかのいい先輩たちと談笑していたのだろう。

 

過呼吸になった。デスクからの電話に出られなくて、30分ぐらい待ってもらえますかって伝えてほしい」と言った。

講演会終わりだったためか、どうやらデスクが近くにいたらしく、Kはデスクに状況をそのまま伝えたようだった。

電話がデスクに代わる。

さっきの電話すみません、運転中に過呼吸になってしまった、でも30分ぐらい休憩したら大丈夫だと思う、と必死で伝えた。

デスクは冷静沈着な人で、この電話でも落ち着いていた。

そして「自分で救急車呼べるか」と聞いてきた。

 

救急車?!しかも自分で?!

「いや、、、すぐ治るので、、、、大丈夫です」

 

数回のやり取りの末、電話を切った。

救急車を呼ぶことのほどの大げさなことではないと思っていた。

しかも自分で救急車呼ぶってなんだよ、と思った。

 

数分後、すぐにまた電話が鳴った。

デスクからだった。頑なに、救急車を自分で呼べ、と言った。

おそらく、デスクの上司(報道部長)に相談したであろう雰囲気を感じ取った。

すぐにサツ担の先輩をそっちに行かせるからとも言った。

わかりました、と言って電話を切った。

 

自分で救急車を呼ぶという、なんとも言えない後ろめたさで、本当に通報するか否か、数分間逡巡した。

意を決して自分のスマホを出し、1、1、9を押した。

 

――「〇〇市消防局です。火事ですか、救急ですか」

「あの、仕事中に、過呼吸になっちゃって、救急車、お願いできますか」

通信指令部の訓練の取材でよく聞いたやつ。まさか自分に言われることになるとはなあ。

 

――「場所はどこですか?」

「えっと…。〇〇警察署の、駐車場です」

 

――「〇〇警察署……(!?)、〇〇市△△町の〇〇警察署ですね。」

「あ、、はい…そうです…」

 

生まれてはじめて、救急車を呼んだ。しかも、担当警察署に。

 

<続きます>